「南茂に住んでいたが、日本軍が来たので山の中に逃げた。食べ物がなかった。 しばらくして、ときどき山を降り、食べ物をもらって食べることもあった。 昔のことをあまり聞かないでほしい。つらかったことを思い出さなければならないから」。 |
陳志忠さん(1933年生) |
あごと右肩。2発とも弾が突き抜けた。口と肩から血がふきだした。いまも傷跡が残っている。 それからずっといまも口を大きくあけられないので、うまくしゃべれない」。 |
子どもだったので、ときどき山をおりて、きゅうりなどをもって1日あるいて陵水まで行き、道端で売って、帰りに塩を買って戻った。 陵水には日本兵がたくさんいた。恐ろしかった」。 |
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父は病気がちになり、働かないといって殴られて殺された。 母もまもなく病死し、弟も7歳の時に餓死した。 わたしは、父の弟に面倒をみてもらった」。 |
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